オレが目覚めて一番初めに目にしたのは、視界一杯の黒だった。
頭がぼんやりとしているせいか、黒という異変にすぐに気付かなかったけれど、ゆっくりと覚醒すれば明らかにおかしい。だって朝なのに、黒!?
ガバリと起き上がれば、彫刻のような男が一人、そこに眠っていたのだ。
「ぎゃッ…」
叫びそうになって両手で口を塞いだものの、よく考えればこの男はオレの使い魔だった…。一日も一緒にいないのに覚えられるわけがねーよ。
あ、起き上がって気付いたけど、黒の正体はこの使い魔の服だった。びびらせやがって!
ていうか、その姿を見て急にムカムカとしてきた。
昨日の夜のことがフラッシュバックされるように鮮明に思い出される。
この使い魔はあろうことか、没落だけど貴族のオレのパジャマを窓の外へと投げた。もしオレが『フライ』とか『レビテーション』とか使えたなら、その場から飛び出していったけど、生憎オレは魔法が満足に使えない。となると、長い螺旋階段を降りて寮の外へと行かなきゃいけねーんだ。
しかも、この学院の寮は馬鹿みたいに上に細長い。下から割り振られていくから、運が悪いと最上階近くとかになってしまう。
オレなんかは引きが悪かったせいで最上階に近い部屋を貰っちまったから、嫌になるくらい螺旋階段を毎日上り下りする羽目になっている。
つまり、そんな上から投げられたパジャマを探しに降り、泣きそうになりながら探していたら偶然にもバクラに出会って一緒に探して貰った。盗賊という二つ名は馬鹿に出来ないみたいで、あっという間に探し出してくれた。
しかも風の方向とか物の軽さとか計算したら、すぐに分かンだろーとか言ってたけど、オレには無理だからすげー感動しちまった。
バクラに探してもらった思い出のパジャマを抱きしめ、部屋に戻れば我が物顔でオレのベッドに眠っていた使い魔がいたんだ…。ベッドのサイズはクイーンサイズだけど、無駄にでかい使い魔は半分以上を占領してるし。
だからって、このオレが床で寝るのも嫌で空いてるスペースに潜り込んだんだっけか。
……最悪だな、こいつ。
窓の外に投げることねえと思わねぇか?せめて、投げるだけにして欲しかった。
思わず殴ってやろうかと思ったけど、寝込みを襲うのはオレのプライドが許さないので止めた。
近々、堂々と殴り倒してやろうと心に決めて。
カイバが起きてきたのは、それからすぐのことだった。
朝には弱いのか少しぼんやりしていたけど、オレを見るなり腕を引き抱きしめてくる。な、なんだ!?
「城之内…」
「あ?」
じょ…なんとかいう奴を呼んだ。勘違いしてるらしい。
昨日、オレにそっくりとかそんなことを言っていたような気がする、じょ…なんとかって奴はカイバの何だったんだろうか。(というか、このとんでもない性格のカイバをどう扱ってたのか聞いてみたい…)
だけど。だけど、だけど、だ!この状況はあまり良くない。
オレは常に持っている杖を取り出し(どこに仕舞ってるかはキギョーヒミツとかいうやつだ)思い切りカイバに向けて、魔法を唱えた。
軽くも無いけどでかくもない爆発が起きたのは、数秒の間を置いてからだった。
「犬っころ!?」
ゴトン、と扉を壊して入ってきたのはバクラ。(うわ!なんで壊すんだ!)
だけど部屋の様子を見て、いつものことと判断したらしく視線を反らされてしまった。
オレは爆発に巻き込まれてベッドの上で座り込んでいる。カイバは即座にそれを感じ取ったのか、器用にテーブルで盾を作って爆風を防いでいた。
…悔しい。この差はなんだよ…。
「この馬鹿犬が!寝込みを襲うとはいい度胸だ!」
「…犬っころ?お前、襲ったのかよ…」
「襲うか!」
哀れ、と器用に顔に出してオレを見るバクラに思わず怒鳴ってしまう。
「お、襲うなんてッ、そんなことするか!オレは至ってノーマルだ!」
「そういう問題でもねぇだろ」
「…貴様、そんな言葉も知っていたのか」
いや、確かにノーマルだのなんだのって問題でもねーけどよ…。ていうか、オレにはそれ以外のぴったりな言葉が思い浮かばなかっただけで。
バクラは呆れながら、カイバは変なところに感心する。
「おはよ、ジョーノ」
そんな時、バクラによって蹴り倒された扉を踏みつけてマリクが現れる。(何で踏み付けるんだ!)
次から次へと、と思われがちだけど、これは日課みたいなもんだ。バクラもマリクもオレの部屋にやってきて、三人揃って食堂へ行くのが日課だ。ていうか『フライ』も『レビテーション』も使えないオレのために、二人はオレに手を貸してくれてるっつーか。甘やかされてるっつーか…。
窓から降りていくのが一番の近道だから。ま、そんなのもミス・イシュタールとかに見つかったら大目玉だから、出来るだけこっそり行くんだけどな。(貴族たるもの道有る道を進むことが礼儀、だっけか?)
「また怪我したの?しょうがないな…」
「あ…サンキュ」
マリクが背丈程ある杖をオレの胸元にかざす。そして、お得意の水の魔法でオレの細かい傷を治してみせた。
メイジであるなら、このくらい自分で出来ないといけない。だけどオレには無理だから。
流石に、こう毎日毎日日課のように爆発を繰り返してりゃ、生傷だって絶えないはずだけどオレが傷一つなくいられたのはマリクのお陰。オレがあんまりにも傷だらけで見てられないらしい…。
オレが礼を言えば、マリクは首を横に振って笑顔を浮かべた。
「いいって。ボクがそうしたかったから」
「ま、マリク…」
きらきらきら、と無駄に光り輝く笑顔を見せられると、どうしていいか分からない。
なんていっても、マリクのそんな顔は滅多に拝めねーんだから!せいぜい、ギャーハハハハハ!と奇妙な笑いをするか、目が笑ってない笑い方をするかのどっちか。どっちかって言うと、そりゃ馬鹿笑いしてる方が断然に多い。
だから。だからさ、この笑顔がとんでもなく怖い。見慣れないし、あのもう一人のマリクちゃんの顔と一緒だから余計に怖いのかも!
「マリク。そんくれぇにしといてやれよ」
オレのぼろぼろになったパジャマを脱がしながら、バクラが呆れた声を出す。
脱がせてもらいやすいように両手を挙げたり足を上げたりしつつ、変なとこだけ器用なオレはマリクのキラキラな表情から目を放さなかった。
「待て。貴様ら」
「え、オレっ?」
「あァ?」
静かにしていたカイバが突然にバクラの手を払いのける。
その手の払い方さえも、なんだかサマになってて不思議だ。普段からそういう態度をしてるのかと聞きたいくらいに、手馴れててそこら辺の貴族様を想像してしまう。
端くれってことでもないけど貴族だったオレの馬鹿親父も、手の甲で何かを払いのけたりしてたのが印象深い。パシン、って音と一緒に叩かれた記憶もある。
だけど、カイバはそうじゃない。優雅且つその狂いの無い軌道、一定の速さ、そしてその破壊力。全てが貴族の見本のような払いのけの技!
その見事な払いのけの神の手は、優雅に下ろされた。
「犬、満足に服も脱げんのか」
オレを見下ろし、腕を組んで姿勢正しく踏ん反り返る。
な、なんて素晴らしいミラクルコンボ!
…って、オレさっき馬鹿にされたぞ!その究極の貴族スタイルに気を取られすぎてた!
手を払われたバクラはオレの前に立ち、肩越しにカイバを見上げる形になる。
「おい、使い魔。貴族サマに対する礼儀ってのがなってねぇぜ?」
「それがどうした。オレには関係ない」
オレよりも喧嘩っ早いバクラが片眉を吊り上げてカイバを見る。身長は明らかにカイバが圧勝してるけど、その態度のでかさは同じくれぇ?
だけど、すぐに戦意喪失したらしいバクラ。なんかそれ分かるぜ、オレも。
「…バカだろォ、使い魔ァ?」
「なんだと…?」
ガシガシと銀髪を掻きながら、溜息を吐いてみせた。
「そうだろ、使い魔。ここにいンのは俺サマたちだけだから許されっけど、その態度で使い魔が外に出たら貴族サマに殺されっぜェ?なァ、使い魔ァ」
「使い魔使い魔と喧しいわッ!そんな低級のものと一緒にするな!オレは海馬瀬人だ!」
「ハイハイ。カイバセトサマ、ね」
「カイバセト?変っていうか…言い難いな」
傍観していたマリクが口を挟む。それ、昨日のオレじゃねえか。カイバもそう思ったらしく、カイバでいいと面倒臭そうに訂正を入れる。
カイバの名前を二人が何度か復唱する。(ああ、これも昨日のオレじゃねえか!変なとこばっか気があってるし!)
慣れない音の名前に慣れようとしている二人を見ていれば、カイバがじっとオレを見ていたことに気付く。てか、今のオレって上半身裸で縞パンツ一丁だし!こんな格好を他の奴らに見られたら、また変な言いがかりでバカにされる!
「カイバ」
「なんだ、犬」
いちいち気になる言い方をする奴だな。だけど、ここはぐっと我慢する。
「着せて」
「………………」
カイバはなんとも言えない表情を浮かべてオレを見る。だから、貴族ってのは…例え落ちぶれてても、自分の下に傅(かしず)く奴がいたら何もしない。
使い魔って言わば主人に仕える魔獣だろ?さすがに人型じゃないと頼めねーけど、カイバはまさに人間だ。
一応、働きは期待するけど、グリフォンとかゴーレムとかにカイバが勝てるはずがない。
だったらそれ以外で期待するしかねえじゃん。(戦えないし何も出来ないじゃ使い魔じゃないし…)
とりあえず、人間である使い魔の使用方法が分からないから、こうして使い魔ならぬ使用人みたいにしてみる。(でもさ、ちょっと憧れてたんだよなー。付き人ってやつ?)
昨日の一件を忘れたわけじゃねーぜ?だけど、それはそれこれはこれあれはあれってヤツで、全く昨日とは話が別物だろ?
「…この馬鹿犬がーーーッ!」
「うわあッ!」
「貴様、学習能力が無いのか!何度もこのオレに服を着替えさせろと、どの口がそんな戯言を言うかッ!」
元々バクラの後ろにいたけど、怒鳴られてつい隠れてしまう。
突然の騒ぎにバクラもマリクも唖然としてカイバを見る。そりゃそうだ。オレはなにも(?)おかしいことは言って無いと思う。使い魔としてゴーレムとかグリフォンに勝てるんだったら、オレはなにも言わないけど人間だろ!?
た、確かに偶然って言ってもカイバを呼んだのはオレだけど、呼ばれて来たからにはオレの使い魔ってことだろ!
無茶苦茶なことを言ってるのは分かってても、それでもオレの使い魔なんだからな!
…す、素直に着替えさせてくれたら…なにも言わないのに。
「ジョーノ?一人で着替えられなくなったとか?」
「そんなわけない」
オレは没落貴族で使用人なんてここ十年以上、側にいたことがない。それに育てられた家が普通の有り触れた家だったから、なんでも一人で出来なかったら誰も面倒を見てくれなかった。(まあ、最後には爺さんも婆さんも笑いながら手を貸してくれたけどよ)
どっちかって言うと平民寄りだぜ?着替えらんなくなるわけねぇじゃん。
マリクはきょとんとオレを見る。
「つーまーりー、貴族ッ」
「ごっこがしたいンだってよォ」
「ハァ!?バクラっ!?」
誰が貴族ごっこがしたいんだよっ!ていうか、綺麗にインターセプトすんなッ!
お、オレはっ…!
バクラは振り返って、にやっと笑った。
「だからよ、カイバァ。この哀れで可愛い犬っころを着替えさせてやってくれ」
「あ、ボクからもお願いしとこうかな」
二人はカイバを見上げて、お願いとやらをしている。(ようには見えないのが不思議だ…)
しかも普通にバクラには貶(けな)された…!
だけど流石にこの二人にこう言われては、カイバも譲歩せざるを得なかったみたいだ。凄く不本意ですって顔に出しながら、オレのブラウスを手に取った。
…まあ、その後が普通に済むはずもなく、オレの叫び声が寮に響き渡ったのだった。
2007.09.30
物ッ凄い、難産だったんだ…コレ。