何かがおかしかった。
毎朝の新聞配達、出席日数が危ないから遅刻しない程度の時間に登校。
二時間目の頭に滅多に学校に来ない海馬がやってきたので、いつものように口論をした。勝てはしないけど、とりあえずムカつくし。
昼にはオレ特製の弁当食って、そんで睡眠学習。
…だけど、違うんだ。
周りの反応が。担任は突然号泣しはじめ、クラス中は何だか分かんねえけど哀れな目でオレを見る。中でも遊戯は何だか複雑な表情でオレを見るし、獏良は笑いながら待ってたよ(!)なんて言うし、御伽は神に祈りだす。しまいには杏子がオレの両手を握って頷き出すし、本田が男泣きをする始末。
なんだ。この異常な事態は。
唯一、海馬だけが普通だった。…いや、奴に普通とか使いたくねえ。非常識的(海馬に常識とかモラルとかいうやつは無いと思うぜ!)な奴に普通は似合うはずねえし。
一体なんなんだ、と言いたい…。が、言えなかった。
朝からおかしい本田がオレの前にいて、妙に真剣な顔してたから。
「城之内…お前、本当に本物の城之内だよな…?」
「だーかーらー、オレに偽物とか本物とかねーよっ!」
「か、帰ってきたー!城之内が…帰ってきたあー!」
本田は突然飛び跳ね喜びを体で表現する。
…本田…、そんなキャラじゃなかったように思うんだけど。
事の始まりは相変わらず海馬だった。海馬は海馬と言っても昔はアレだったが近頃は唯一の良心である海馬モクバのことである。
齢十二で流石海馬の者といわれる頭脳を持ち兄想い(兄の代弁役)の性格から、遊戯たちと懇意にしていた。
過去モクバは手製の毒薬を作り、城之内に盛ったことがある。(後々に本人が反省しつつ言っていたのだ)今でこそ無かったことにされていたりするが、間違いなく薬品関係には知識がある。ここは流石海馬の弟であるといったところか。
そして今回もまた餌食となったのは城之内だった。
不運というのか、実験ネズミの運命なのかは定かではないが、とりあえず薬品実験は堂々と白昼に行われた。
モクバに用事があるのだ、と直接言われ断る理由もなかった城之内は海馬邸の応接室にいた。
「ジョーノウチぃ。これ美味いんだぜぃ」
この台詞に城之内が弱いことを知って、モクバは警戒心の薄い彼にそれを差し出した。
食ってみろと促すより、美味いという表現の方が人は食らい付く確立が高い。何より、さも行ったかのような表現に人はすぐ信じ込むところがある。
するとやはり城之内というのか、あっさりと受け取り何の疑いもなく飲んでしまった。
「お、マジ美味え!」
「だろー?飲んでも大丈夫な味で作っ……」
思わず自作品だと漏らしたが、飲むことに意識を集中させていたお陰で聞いていなかった。不幸中の幸いというやつであるが、城之内にとっては不幸としか言えない結果になるのだった。
グラスの中にあった液体を全て飲み干し、おかわりとかねーの?と更に催促する。
モクバは首を横に振って、それが最後であると意思表示した。
「なあ、城之内…」
「んー?」
理論上、速効性だったはずのそれの効果が現われるかと覗き込むが、全くの変化が見られない。動物実験も人体実験(は今している最中だ)もしていないそれが完璧なものではないので、モクバは失敗したかと落胆する。
作ってどうしようというわけではないが、知的好奇心というやつだ。
研究者は好奇心が趣くまま、食指が働くまま追求してしまう。海馬家の兄と同じ血が流れている以上、モクバも同じ穴の狸。
城之内の様子が全く変わらないことに、失敗作であったと一気に凹んだ。
味に気を遣いすぎたかもしれない、配分を間違えたかもしれない、と頭には自らが作り上げた図が蘇る。
「モクバー?」
「な、なんでもないぜぃ!今日はありがとな!もう帰っていいぜぃ!」
不思議がる城之内を余所にまくしたて、用件は終わったんだと告げる。
背中を押されるように海馬邸を追い出され、結局用件はなんだのか分からないままに帰途につく。
城之内を無理矢理帰した後、モクバは部屋に戻りなにがいけなかったのかを思案することにした。机上論的には完璧のはずの図面を見て、首を捻るのであった。
翌日。雲一つない青空の下、晴天の霹靂とでも言える事態が童実野高校に発生した。
「じょ、じょうのうちく、ん?」
遊戯の震える声が教室の中に響いた。誰もが黙り込んでこちらを見ているが、今はそんな視線に構っている暇は無い。
異常な事態が異常な状況で異常に発生しているのだ。これを異常と言わずして、なにを異常と言えばいいのかは誰にも分からなかった。
ただ、言えることは当人はその異常さに気付いていないということか。
大体のことにならば動じないどころか受け入れ態勢の整っている遊戯だが、さすがにあの海馬をも超えた異常さだけは受け入れることを拒否したらしい。
「なあに?」
名前を呼ばれた城之内が振り向き様に微笑む。
そして少しだけ小首を傾げるような仕種も付いてきた。
いつも通り(?)のはずだが、なにかがとても違う。これは城之内ではない、クラスの半数以上の見解が一致する。
そう、例えるなら言うなら、
「あははは、なんか城之内くんが静香ちゃんみたいになってるね」
獏良が平然と言ってのけたものの、この異常性は抜けきらない。
静香のことを良く知る杏子や本田や御伽は頭の中で二人を思い比べて、思わず目を逸らしてしまった。
兄妹故に顔形は似ているが、性格では頑固さと互いを想う気持ちを抜けば全てが真逆と言ってもいい、この兄妹が。今日はどういう心境の変化か城之内はまさに静香と言ってもいい。
日頃の、粗雑さと目つきの悪さが表に出てきてる城之内からは考えられない爽やかさだ。
悪いものでも拾い食いしたのではないか、なんて誰もが意見を同じくしていると、がらりと教室の後ろの扉が開く。
「あ、おはよう」
水を打ったように静かな教室で、後ろ扉から入ってきた人物に城之内は挨拶をする。
ピシャリ。
この音が丁度しっくりとくるように、さっと閉められてしまった。
確かにそれが懸命ではあるが、後ろ扉を開けた人物からは考えられない展開である。
何があろうと動じない、非現実だと決め込む、無かったことにさえ出来るという特技を持った人物の行動とは思えない。この程度なら見ない振りぐらいは出来そうなのに。
「か、海馬くん!」
ここは誰でもいい、この状況を打破出来る人物を、と遊戯が藁をも掴む思いで扉に駆け寄った。
普段ならば城之内が「放っておけよ、あんなヤツ!」とでも言うはずだが、そんな言葉さえも今日はない。
扉を開け、足早に去ろうとする海馬に普段からは考えられないスピードで駆け寄り、彼のどこで発注したのか白い学ランの裾を掴む。
「逃がさないぜ!海馬!」
「離さんか!」
掴む瞬間にもう一人の遊戯と入れ替わったらしい。
離せと言われて離すような性格ではないことは分かっていても、それでも言ってしまうのは最早癖のようなものか。これを城之内がやれば、立派に犬のようだな!と罵っていただろうが、自分のこととなると丸っきり見えていない。
それが海馬の最大の欠点でありつつ、長所でもある。要は人の目を全く気にしない、ということである。
どう足掻いても敵わない身長差ではありながら、がっちりと掴んだ海馬の服を引っ張る遊戯。
それさえも振り切ろうと校舎の外の方へと進む海馬と。
この世で敵わないものなんて何一つ無い王様、オレのロードを貫くためなら道無き道も突き進む社長。
どちらが強いのかは分からないが、必死の攻防をする二人。
「にしてもさ、城之内くん、今日はどうしたの?いつもと違うよねー。悪いものでも拾って食べちゃった?」
「いつもと同じだと思うけど…?」
さり気なく酷いことを言っている獏良に対し、聞き流しているのか気にしていないのか分からない城之内が静かな教室の中で会話を展開していた。
自分は日頃と同じだと主張はしてみるが、本田と御伽は全力で首を横に振る。
「オレよりみんなの方がおかしいんじゃない?ね、杏子ちゃん」
杏子「ちゃん」
この時ほど身の毛がよだつ思いをしたことが無い、と後々の杏子が語ることになる事件が起きた。
こんなものならば闇のゲームでも受けている方がよほどマシかもしれない、と杏子は怯えつつ思う。城之内に限って、誰かをそういう風に呼ぶなんてこの地球がひっくり返っても有り得ない、と強く断言出来るのだから。
けれど、今のなんだかとても異常な城之内は、それが当たり前なのだ。
「全力の嫌がらせのようだ…!」
「じょ、城之内ッ…!て、てめえ…!」
御伽は自分が城之内に「御伽くん」なんて呼ばれる自分を想像して恐ろしくなる。
本田は本田で泣くべきか暖かく見守るべきか気を失うべきか、どうすればいいのか分からずに戸惑う。
いよいよ、誰も喋らなくなった教室は重苦しい空気が充満しだした。
そんな時に救世主は現れる。
「城之内くん!」
ガシャン!と、どういう力を以ってかは分からないが、扉を破壊し教室に飛び込んできた遊戯。そんな彼の右手にはしっかりと海馬の制服の裾が握り締められていた。背後には不本意だと表情に描いた海馬も勿論いる。
折れるという行為をしない二人であるが、どういう経緯か海馬が折れたらしく連れてこられたらしい。
呼ばれた城之内は遊戯のとんがり頭を素通りして、頭二つ分以上高い海馬に滅多に見せない笑みを見せる。
見たことがあるのは静香ともう一人の遊戯くらいかもしれない、という青眼レベルの珍しい笑みだ。
澱んだ教室の空気が、一気に氷点下まで冷え切った。
「今日は学校に来れたんだ!やった、海馬くんと授業受けれるんだね!」
「…………………………」
「でも、さっきは挨拶したのに扉を閉めるなんて酷いよ!」
ころころと表情を変えるのはいつもの城之内だ。間違いなく城之内だ。
しかし、これは本当に誰だ。
海馬は口を半開きにして呆然と目の前の人物を凝視する。
「ねえ、ほんとにどうしたの?だいじょうぶ?ね、海馬くん…」
軽い足取りで近寄ってきて遊戯を間に挟み、小首を傾げながら海馬を覗き込む。
「ッ………!」
常に携帯しているジュラルミンケースを握る手に力が篭るのが分かる。
これは非現実的というよりも、倒錯した世界だ。大切な何かが音を立てて崩れていく感覚がした。
海馬の中で保っていた理性という一番脆いタガが外れた気がする。いや、気がするのではない、本当に外れたのだ。一番外れやすく修復不可能な大切なタガが。
カチリ、とジュラルミンケースの鍵を外すかのような、もしくは部屋の鍵をかけるような軽い音が、海馬のタガが外れる音であった。
「凡骨よ…、そのようなみじめな姿を晒すなら…いっそ自ら身を砕けッ!」
「か、海馬!止めるんだッ!」
いつかどこかで聞いたことのあるような台詞と共に、遊戯の制止なんて聞かずに。
惨劇はいつもどこでも、そのジュラルミンケースから始まる。
この後、有志の手によって城之内は海馬家まで運ばれ、そこで丸三日間眠り続ける羽目になるのだった。
打ち所が良かったのかそれとも悪かったのかは分からないながらに、城之内は無傷だったということが唯一の救いかもしれない。
モクバは彼の眠る客室へとやってきて、ベッドの側に椅子を引っ張って来る。
「…性格反転薬は成功だったけど、まだまだ改良の余地がありそうだぜぃ…」
今回の惨劇を繰り返さないためにも、モクバの研究は高みへと昇っていくのだ。
少なくとも今回の一件は半分以上が自分の責任だと思い、献身的な看病に三日を費やしたのだった。
2007.11.20
割と試作的なので、改稿すると思うです。