城之内と名乗った金の髪の少年を拾ってから一ヶ月が経過した。食事を与えたら早々に出ていって貰う予定が狂ったのは、彼が出ていきたくないと懇願したからだ。
本来なら自分がそこまでしてやる理由は無かったのだが、出ていってどうなるか分かっているのでは追い出したようで気分が悪くなる。
いや、そんなのは建前だ。
ただ純粋に彼を気に入った。彼が語った悲惨な過去をものともせずに、素直に笑って感謝できる素直さに惹かれた。
馬鹿だと言い切れば簡単だが、馬鹿であっても自分には無いものを持っている彼が眩しかった。だから手元に置きたくなった。
自分が手元に於くと告げれば、使用人たちは金の髪は忌み子だと言う。自分には眩しくて仕方ないそれをそう言うので使用人を全て解雇した。
誰もいなくなった館には自分と少年だけが残ったのだ。
『Jeder verschwand…』
(誰もいなくなっちゃった…)
『Sind sie einsam?』
(寂しいか?)
『Ganz!Ich, der sie sein, werde nur von dort!』
(全然!あなたがいればオレはそれでいい!)
その日から彼らの生活は一変した。
海馬医師は城之内に日本語を教えた。まずは何をするにも国の言葉を知らなければどうしようもない。
だが同時に危惧もあった。言葉を知らないからこそ分からなかった言葉の意を知ることとなる。彼を差別し罵った言葉を教えなくとも必然と知る日がくるのだ。
知らなければ良かったと言われるかもしれない。他人がどう思っていようと興味のなかった自身に芽生えた恐怖。
だが城之内は彼に自ら進んで教えを請うた。海馬に拾われて以来、心酔するかのように海馬の全てを肯定してきた。そんな彼が使う言葉を知りたいのだと言う。
それを聞き海馬は決意した。彼に全てを教え、なにかあれば守ってやれば良いと。
城之内がそう言った日から日本語の学習が始まった。
彼は学ぶ意欲からか驚異の上達を見せ、二月(ふたつき)としないうちに日常会話に支障が出ない程までになった。更にその一月(ひとつき)後には、簡単な読み書きが出来るようになる。
『カイバ、ここがわかんない…』
『これか?これはこちらを乗算してから解をもとめろ』
『あー、そっか!sehe………みて、できた!』
しかし計算だけはどうやら苦手のようで、何度も同じところで躓いては同じ繰り返しをする。本来なら、海馬はこの繰り返しを時間の無駄だと思うが、彼とのやり取りを思えば何故か有意義だと感じた。相手が変われば全てが変わる、そう呟いて口元に笑みを浮かべた。
目の前の少年は海馬から譲り受けた羽ペンを持って、首を傾げる。そうすると海馬は細く長い指を紙へと持って行き、穏やかな口調でそれを楽しむかのように教え始めた。
そうやって二人だけの生活を楽しんでいたが長くは続かない。
ある日、城之内を忌み子だと言って解雇された使用人の一人が、出合い頭に拳銃を海馬に向けて発砲した。
『カイバぁっ!』
海馬を突き飛ばし、自分が盾になるかのように立ちはだかる。脇腹の肉をえぐり弾を無理矢理に捩込まれるような感覚、いや実際に捩込まれている。
更にもう一発。もう一発と銃倉の中に入っている弾薬の数だけ発砲する。
弾薬が全てが無くなった時、銃を持った元使用人は奇妙な叫びを上げて走り去った。それとほぼ同じくして、城之内は海馬を一瞥した後にこりと笑い血の海に倒れ込んだ。
海馬は動けなかった。医師として死人も血液も臓器も見慣れてきたはずだったのに、城之内がその場に倒れるまで動けなかった。ただ呆然と立ち尽くしたまま城之内を見ていた。
「兄サマ、聞きたいんだけど城之内の先祖を医者の海馬は助けられなかったの?」
倒れて動かない城之内を見て我に返り、駆け寄った海馬は彼を抱き上げる。ぬるりとした感触と、熱を持った傷口の肉が踊るようにびくびくと震えていた。
そして始めて気付く。
彼が撃たれたことに。気付かなかったのは信じたくないという感覚からか、それを見るまで信じられなかったからなのか。
どちらにせよ、城之内は弾むような息遣いで苦しそうに喘いでいる。
「当時の医療では限界があったのは知っているだろう。幾ら名を馳せた医師であろうが、然程発展していない医療では救うのも困難だ」
「……そっか…」
海馬医師は城之内に応急処置並の止血を施し、自らの診療所に連れ帰った。撃たれた場所が幸いにも診療所の側であったことから、余り揺り動かすことなく連れ帰ることが出来た。
上等の着物や手が血だらけであったが、それさえも構わずに埋め込まれた弾薬を抜いていく。
「じゃあ、助かったのは殆ど奇跡なんだな」
「……そうだな」
しかし、それだけでは駄目だった。上半身のあらゆる箇所が撃ち抜かれ、一人では手に余るのだ。いやもっと的確な言葉で言い表せば、一人では不可能だった。
悔しさに唇をきつく噛む。形の良い唇が切れて血が溢れるが、そんなことには構わない。
この状況は自らの医療技術の欠如ではなく純粋に人手が足りないのだ。本来ならば自分の力だけで城之内を助けたい。だが、ここで人に頼ることを嫌がり城之内を失うくらいならば、海馬は土下座でもなんでもして彼を助ける方法を選んだ。
早くしなければ命が危ない。海馬は近隣では名医といわれる医者に頼み込むが渋い顔をされてしまった。城之内の今のことを思えば土下座はたやすいことで、地面に擦り付ける勢いで頼み込んだ。
流石に近隣の医師は海馬にそうされては頷くしかなく、城之内の治療をすることとなった。
「でも匙は投げたんだよね」
「一度は。傷を塞いだ後、海馬医師は懸命に治療をした」
それで治るのはお伽話程度だぜぃ、と小声で呟くがこの話自体がお伽話なのだ。
兄がこのお伽話を話していることに違和感はあるが、それでも屋敷に城之内が幽閉される理由がそこにあるなら納得しなければならない。だが、モクバはお伽話を理由に城之内を幽閉するのは筋違いだと考えている。
きっと海馬自身もそれは分かっているだろう。理由というものは理屈でつじつまを合わせることだ。幽閉する理屈がこのお伽話ならば、どう考えても合理化することが不可能であるし筋道が立っていない。
「やっぱりおかしいよ、兄サマ」
「…城之内はこの後、話せなくなった」
それは聞いていない部分だ。だが、兄は敢えてそれを言わなかったのではなく、説明するために黙っていたのだろう。
話すことが出来なくなった城之内は、辛うじて赤子が発する軟語のような声を上げて泣いた。今まで出来ていたことが出来なくなり、苛立ちと恐怖から泣くことしか出来なかった。
医師はそれでも城之内の面倒を見続けた。家の前で拾っただけの子供にそこまでする必要は無かったが、甲斐甲斐しく面倒を見る。
そこにあったのは無償の優しさだった。
2008.03.14