偶然 = 必然
For love

 偶然に彼と再会をした。
 彼は懐かしそうに目を細めながら、昔と変わらない柔らかい笑みを浮かべる。その笑みに、曖昧に返答するかの様に私は小さく頭を下げた。

 彼との出会いは、中学の頃に遡る。
 私がまだ幼稚な少女だった頃だ。
 あの当時は恋愛に夢を見て、芸能人の誰が格好いいとか(私は興味が無く、ただ聞いていただけだったが)毎日無駄に騒ぎまわったものだ。
 それ以外にも、私たちの通っていた中学は、サッカーが有名だった。サッカーをしていて、勿論スタメンだったりすると当然の如くモテた。
 私の目の前にいる彼も、例外無くモテていた。
 だけどその当時、私たちは恋人という名前のクラスメイトであった。

 久しぶりに再会した彼は、昔の面影を笑顔にだけ残しながら表情を崩さない。
 最後に彼とあったのは高校一年の夏だったから、十年近くは会っていなかったことになる。

「久しぶりね」

 私が声をかけると、「久しぶり」と返してくる。そして少し間を置いて聞き取りにくかったが、会えて嬉しいとまで言ったのだ。
 返答に困る必要など、皆無に等しかったが少し悩んだ後に「私も会えて嬉しいわ。きっと神様のお導きね」と、クリスチャンでもないのに、映画などで聞く常套句を並べてみせた。皮肉以外には聞き取れない一言にさえ、彼は苦笑するのだ。

「嫌味だな」
「そんなことは無いわよ」

 肩を竦め困った様に笑う彼の、仕草を見ながら呟いた。
 そういえば、その仕草は癖だったわね。

 少し、昔のことを思い出した。

 中学三年の夏に彼は同じ仕草を、悲しそうに笑いながら私に見せたことがあった。
 その時、彼はサッカーの選抜で落ちた時だった。誰もが受かると思っていた中の落選に正直、驚きは隠せなかった。彼は泣きそうに瞼(まぶた)を赤く腫らしながらも、無理をして笑っていた。
 それを見たとき、彼の無理をした姿に私が泣いてしまったことを今でも鮮明に覚えている。
 その時に彼が、あんな仕草をしたのだ。

「最近はどうだ?」

 昔の彼からは想像もつかない真摯な瞳に私を映す。
 私は、特になにも変わり無いと素っ気なく呟くと、ヒールの踵で地面を軽く蹴った。

「そうか。俺も特に変わり無いな。あったとすれば…」
「美人女優と婚約でしょう?貴方、有名だもの。雑誌にもテレビでも報道されていたわよ」
「あぁ…そうか」
「二十六歳、Jリーガー。司令塔の中の司令塔、有名すぎるには十分よ」

 私は居心地が悪くなってきて、次第に苛立ちが増してきた。
 皮肉と嫌味をたっぷり込めた言葉…婚約中に抱いてた幸せなんてものは、すぐに消えるわよと言って私は背を向ける。
 もう彼の顔を見ていられるほど、心に余裕はなかった。

「結婚してた様な台詞だな」

 顔を見なくても苦笑しているのが良く判る。

「私、これでもバツイチなの。結婚して五日で別居。それで半年後には離婚。幸せなんて続かないわ」
「…そうか…」
「聞きたいのはそれだけかしら?…それじゃあ。さよなら」

 右足を前に踏み出す。
 彼との最後の再会だろうと思いながらも、数歩だけ歩く。

「あ、言い忘れたわ。貴方の親友のゴールキーパーさんによろしくって伝えておいて」

 見返り程度に振り返って彼を見る。

「ああ…。分かった。…それから、俺も言い忘れたことがある」

 私の数歩が彼には一歩半で、距離が縮まった。
 右手を捕むと、彼は私を見下ろしながら悲しそうに笑った。

「…お前を…手放すんじゃなかった」
「……」
「高校違ったから、会えなくて苛立って…俺から関係を断ち切ったのにな…凄く、自分勝手だと分かってる。けど…今凄く後悔してるよ」
「今更遅いわよ。もう貴方と私はなにの繋がりもないわ。ただの元クラスメイトとしてしか形容出来ない関係」
「そうだな…」

 悔しそうに苦虫を噛み殺したような表情を浮かべる。
 私の右手を握る力が強くなってくる。

「痛い…放して」
「放したら…二度と会えない気がする…」

 力を一切弱めず、握り続けてくる。

「どうしたら放してくれるの?」

 黙ったままなので、再度聞き返した。
 けれど、返事は無かった。仕方が無いので左手で鞄の中から名刺を出す。それを彼の胸ポケットに入れる。

「これでいいでしょう?もういい加減に放してくれない?」
「嫌だ…!」

 悲痛に彼が叫ぶと、私を引き寄せた。
 街中でこんな風に抱き締められ、好奇な視線と彼の力強さで身動きが取れなかった。

「好きだ…」
「婚約者はどうするのよ」
「あいつよりも…お前の方が…!会って痛感したんだ。お前への気持ちは捨てられないんだって!女々しい男だ。俺……」
「遅いわ。貴方を想う気持ちなんて十年前に消え去ったわ…」

 私がそう言った瞬間、視界が暗くなった。
 暗くなったのは、彼が私にキスをしたから。
 抵抗が出来なかった。あまりにも優しくて、あまりにも柔かなキスだったから。だから…。


「…好きだ…」


 耳元で囁かれ、全身の毛が逆立ったようだった。

「…だから、遅いって言ってるじゃない!」

 自然と涙が溢れてくる。
 こんな気持ちは十年前に、彼からかかってきた電話で別れを告げられた時以来。
 あんなに大好きだったのに、彼は「もう無理。別れたい」その二言で私の気持ちを砕いた。恨んでも、恨んでも彼に対する想いは消えなくて押し殺していた。
 今でも好き。今でも好き、だけど私の心は彼を受け入れたくない、傷つきたくないんだと拒否をする。
 でも、私の心が拒否しても感情だけは止められなかった。結婚して彼じゃなかったから自ら破局させた。優しくてずっと側にいてくれると誓ってくれたあの人を傷付けてまで、どこかで彼を求めていた。
 女々しいのは…私よ。

「遅いのよ…私は、貴方に都合良く出来た女じゃないの!」
「っ……悪いと思ってる…でも…!」


「大嫌いよ!二度と私の前に現れないで!私の前から消えて!」


 彼を押し、離れるや否や私は駆け出した。

「……」

 駆け出す前に彼が、私の名を小さく呼んだ声が頭から離れない。
 素直になりきれなかった自分が悔しかった。
 途中、ヒールを小さな段差にぶつけ転んだが痛みは感じなく、ただ悔しさで涙が溢れた。
 貴方のことを今でも愛しているわ。この台詞を言えばどれだけすっきりしただろう。それすらも言えなくて、ひたすら後悔した。
 三上…亮…。
 ごめんなさい。貴方への想いは封印するわ。
 だから、私を恨んで。
 私を忘れて。
 貴方は、貴方にあった相応しい人と幸せに暮らして…。
 素直じゃない私は、誰もいない所でそう呟いた。

 後日、テレビで彼は婚約破棄をした。
 それをテレビで見た時は言葉が出なかった。
 私がそうしている時、携帯電話の着信音が鳴り響く。

 それが始まりを告げる音だったのかもしれない。


これを素直じゃないと言うのですね。

モドル ▽