夢十夜

 一九〇四年の事だった。
 女学校で聞いた話だ。
 恋仲に成るべき人間の足の小指には赤い糸が付いていると聞いた私は、其の赤い糸を見たいが為に四苦八苦していた。
 見れないとは判っている分だけ、余計に見たく成るものだ。だからこそ、足の小指をじっと見やる。
 出来ればあんな人が良い、こんな人が良いと勝手な想像をする。
 戦争が始まった以上、人間は夢を見ないと何も娯楽が無い。
 何て世の中とは憎らしいんだろう。珠にそう思う。けれども、口には出してはいけない。弾圧思想とやらは、私達には不自由でしか無い。

「何…やってんだよ」

 足の小指を凝視しながら、あれ此れ考えていると後ろから声を掛けられる。
 手には国木田独歩の「牛肉と馬鈴薯」を持っていた。…私なんかとは身分が違う身の上なのに、私に構って来る。
 もんぺに付いた埃を払って、草履を履く。

「亮さん」
「足の指なんか見て何かあんのか?」

 訝しげに眉を潜めて、小さく笑う。綺麗に着こなした学ランが何とも似合う。
 矢張り、私と彼と凄く差がある。

「あ、その、ね…赤い糸を探してたの」
「赤い糸?」
「将来結ばれる人間の間にある糸らしくて。其れが足の小指に付いてるって聞いたから」

 極力彼と視線を合わさ無い様にする。
 身分の差は激しかったから、彼と談笑出来るのはお嬢様と呼ばれる部類の人間だけ。
 私のやうな人間は疎ましがられるだけ。
 現に、彼を知る道行く人は余り好ましい目で私を見て居ない。
 幼馴染みというだけの立場じゃ、身分は補え無いのよ。

「へぇ…其れは興味有るな。俺の赤い糸とやらは誰と繋がってんだろな」
「梅小路様の所の綾子様とか…」
「梅小路綾子?彼奴が?、言っとくけど、興味ねーよ」
「許婚でしょう?赤い糸だって有るかも知れないのよ」

 其れ位は知ってる。私は身分違いながらも彼が好きだから、嫌でも目で追ってしまうから。
 彼が誰を好きとか嫌いとか…そんなのは聞きたく無い。赤い糸が私と繋がっていたらな、なんて不謹慎にも考えてしまう。
 彼を見上げて、少しだけ笑う。

「亮さん、我儘は駄目よ」
「何でだよ。好きでもない奴と政略結婚なんて、俺にしちゃ悪趣味でしかないさ」
「…そうかもしれないけど、けどね…貴方は次期家長。家には逆らえないでしょう?」

 私の場合はお見合い話が持ち上がってるから、気持ちが良く判る。
 彼がお見合いの相手なら、私は直ぐに頷くわよ。大好きだから。
 でも、其れは許されなかった。この時代、家を継ぐのは長男と決まっている。身分違いの結婚は許されない。
 私より頭が一つ分大きい彼は、私を見下ろしながら頭を撫でる。表情は柔らかかった。
 そういう態度をするから、期待しちゃうのよ。

「餓鬼ン時、何度も言ったけど、俺はが好きだから。俺はお前以外とは結婚しねーから」
「…!あっ亮さん!?身分違いで…!」
「身分違いがどーしたってんだよ。俺は内海文三かよ。金色夜叉じゃねーんだよ」
「……。それは…身分じゃなくて、夢の妨げになるって思ったからでしょ」
「何にせよ一緒だ」
「何処が一緒よ」

 いつも通りの自分主体の発言で、ちょっと力が抜けた。
 まぁ、金色夜叉なんかを例に出してくる辺りが彼らしいと言えば彼らしいわよね。男性読者が余り居ない金色夜叉をね。
 あらゆる意味で私に気を遣ってくれてるって事よね。
 何処までも優しいわよ。珠に、其の優しさすら辛く感じるときがあるもの。

「いざとなれば、俺は駈け落ち位出来るからな」
「私の意見は?」
「無視。惚れてなかろうが惚れてようが、何度でも惚れさせてやるから」
「……馬鹿ね」

 とっくの昔に惚れてるわよ。
 其の言葉を飲み込む。言ってはならないコトバ。
 私を見下ろしながら、亮さんは小さく笑った。

「俺はそれ位、惚れてるって事だから。一方的でも俺の赤い糸とやらは、に繋がってるから」

 頭に手を置いて、くしゃくしゃと掻き乱される。
 私は彼の大きな手が好きだった。本当に大好きだった。此の幸せが一時だけであっても続けば良かった。
 だから、私は願い続けてしまう。
 彼と何時までもこうやって過ごせますようにと。赤い糸を彼と私の小指に下さいと。
 けれども、私たちは生まれた時から違われていた運命で。だから、この瞬間が余りにも幸せで、少し泣けてしまった。


若干、漢字を意識してみた話。ついでに、この時代はみんな文学青年だという偏見から。

モドル ▽