「センパーイ、センパイ、センパイ。………、起きろっ」
被っていた布団を剥ぎ取られる。
「……ちょ…っとぉ…!まだ八時じゃないのよぉ…」
枕元にある携帯を見て、八時ということに不満を覚える。私は8時半に起きれば間に合うのに…。
もう一度寝ようと思って、投げ出してあった毛布を頭から被る。
「いーからっ。起きろ!」
「アンタ、学生のくせしてなんでそんなに早起きなのよ…」
私が学生の頃はね、単位を落とさない程度に学校行って、休めそうな時は休んだものよ。
常に出席日数はギリギリ。ちょっとオーバーしてもなんとかなるもの。勿論、一時限目から授業なんて取らない。余程の時くらいなもの。
学生、ましてや大学生なんて遊んで寝てバイトして、たまに学校ってのが本業でしょうが!だから寝かせて。
目を閉じて夢路へと行こうとするけど、毛布が剥ぎ取られてしまう。
「センパイ。起きねぇと、また食っちゃうよ?」
「…………!」
ガバリと起きる。
「そっ…そそそそそそれだけはっ…!」
もう勘弁して!
「おーはよ」
にやり、と人の悪い笑みを口元に浮かべて私を見るのは三上亮君。
つい一週間前に、一日限りという条件(?)のもとに泊めてあげた家無き子。…だったはずだけど、なんか当たり前のようにウチに住み着いている。
それに慣れて来た私も私だけれど。
というか、やっぱり一週間前に危惧した通りに、オトコとオンナが同じ屋根の下に住むと駄目だ。
同衾だのどうのではない、人間の性(さが)を見た。
つまり、ヤったのだ。流されるがままに、それはもう相性抜群技術最高ときた。
こうなったら後はどうなるかなんて分かるでしょ。ぬるま湯に浸ったら、抜け出せっこない。
惰性でずるずると、行き着くところまで行ってしまいそうで怖い。
「顔洗ってこいよ。その間に飯の支度してるから」
「うん…」
なんてことか。
この一週間、一度たりとも朝食を抜いたことはない。彼が何かと世話を焼いてくれるから。それに慣れはじめている私は、近いうちに堕落してしまうに違いない。
彼がいないと駄目な体になるのは嫌だ…!
なんだかんだ思いながら、私は洗面所へと向かう。そして鏡に写る自分を見た。
「ぼさぼさ…だらしない顔…」
こんな駄目な姿を当たり前のように曝しても、三上君ならなんとも思わない。
それが当たり前のように、彼だから見せられるかのように。
一体、なんだというのか。
男女の関係でありながら、この安心感。
彼のことは何も知らない(知る必要がない)のに、この関係が必然かのような感じ。こんな互いの欲求のためのような関係が安心するなんて。
「…不本意だ…」
「なにが?」
洗面所に半身をひょっこりと出して、三上君が尋ねてくる。
「………べつにー」
台所の真横だからか、独り言は丸聞こえ。
三上君が転がり込んでくるまで知らなかったこと。
「ふーん。…ま、いいや。俺の方、出来たから早くな」
私は短い返事をして、洗顔と歯磨をするために蛇口を捻った。
ああ、そういえば。
捻りすぎて、水の無駄遣いだと怒られた。その嫌になる位に家庭的で小姑な彼なのに、何故か自分の中で受け入れてしまう。
当たり前みたいに、怒られることも何もかもが。
「せーんーぱーい?」
「あー、はいはい。今行く」
急かされたので、両手で水を掬い上げ乱雑に洗顔をする。
忘れよう、取り敢えず今は。
彼がいることを非日常だと思うためにも。
「今日は冷蔵庫になんも入ってなかったから、スクランブルエッグだけな」
「………ありがと」
洗顔をして、しっかり覚めた目でテーブルを見て気分が萎えた。本当に冷蔵庫には何も入っていなかったのだろうか。
スクランブルエッグだけとか言いながら、サラダやポタージュ、バターとジャムがたっぷり塗ってある食パンと。
これだけあれば完璧だし、まるでドラマや映画に出てくる朝食みたい。
なのに三上君は、これだけしか準備できないで悪いと言う。
私が一人だった時は、生卵かけ御飯とか、コンビニのおにぎりだけとかの生活だったというのに。比べる対象がブルジョワとプロレタリア位の差を持ってるけど。
「どーいたしまして。世の中ギブアンドテイクだから、これくらいさせて貰うしよ」
「……」
ギブアンドテイクじゃなくてテイクアンドテイク状態だけどね。私、貰ってばっかだもの。
あ、でも生活空間を分けてるか。
「さ、食おうぜ」
その言葉に促されるままに、私はフォークに手を伸ばした。
「じゃあ、私行ってくるけど。三上君は今日一日どうするの?」
「んー」
食事の片付けも済まし、鞄の中に彼の作ったお弁当を入れながら尋ねる。本当に至れり尽くせりという状態に、堕落しそうな自分が怖い。
いや、もう堕落してるかも。
私のソファの他に、気付いた時に増えていた彼専用のソファに深く腰をうめた彼が振り返る。
今からテレビでも観ようとしていたのか、チャンネルを片手に持っていた。
私の言葉に少し考えた後、テレビに向き直り電源を入れる。
「昼から大学、その後バイト。センパイは?」
「早くて十九時。遅くて二十二時…かな」
「遅くなるときは連絡しろよ。何処へでも迎えに行くから」
「…ありがとう」
たった一週間、ちょっとは体の関係があったとしても異常な尽くし方な気がする。それでも拒まず、受け入れてる自分が怖い。
ヒールを履き、一瞬でも彼を忘れなければと思いながらドアノブを捻った。
仕事をすれば彼のことは忘れられる。今までの私でいられる。
「、いってらっしゃい」
「えっ!?」
不意に肩に体重が掛かったと思えば、そこには三上君の頭が見えた。甘えるみたいに、額を肩に宛てながら抱きしめてきた。
いつもなら、ソファから振り返る程度なのに。
今日はどうしたのだろう。
心臓がドキドキと高鳴りを上げるけれど、私は冷静を装う。
「うん、行ってくるから…」
「……」
するりと彼の腕が外された。その直後、さっきまでの姿が嘘のように一瞬にして元に戻った。
本当になんだったのだろうか。
三上君みたいな猫みたいな子の心理が分かるはずもなく、私は首を傾げながら玄関を出る。
まだ、どこかでドキドキしている心臓を憎らしく思いながら、鍵を閉めて会社へと向かった。今からは、少しでも彼を忘れよう。
いつものように、いつもと同じ道を、同じ時間に通ることで今までの自分が取り戻せる感じがする。
後少しで駅、というところで携帯が音を立てる。
誰かも確認をしないで取るのは悪い癖だと、周りから何度も言われたけど、こればっかりは癖なんだから仕方が無い。
「もしもし?」
『もしもしっ!俺!将大っ』
「まっ………」
将大さん!?
思わず声が裏返る。
『ん?どした、?』
「いえ、何でも…」
周防将大。そろそろ三十路(今、27だったかなあ)のサラリーマン。
前にエリートとか副社長とかくっ付くタイプの人。
ぱっと見た感じだと、フリーターとか大学生とかに見える感じで、言われないと誰ひとりとして彼がそんな人物だとは分からない。
性格がきっと若いから、だとは思うけど…。
『、今日の晩は暇?』
「え…あー、暇です」
これといって誰とも約束なんかしていない。というか、三上君が来てからはそれどころじゃなかったし。
ああ、また思い出してしまった。これは、ちょっと凹むなあ。
なにをしても三上、三上とまるで私が中毒みたい。
『じゃあさ、いい店を見つけたんだ』
だから、行こう?と誘いかけてくる。私はいつも通りに返事をする。
将大さんの誘いだけは断らない。
どんな用事があっても彼を最優先してきた。深い理由を探せばそれこそ色々あるけど、私にとって将大さんは絶対な存在。
「いいですよ。どこで待ち合わせます?」
『迎えに行くよ。仕事終わったら連絡頂戴?』
「分かりました」
『じゃあ楽しみにしてるな!』
短く返事をすれば、ぷつりと通話が切れる。私は携帯を鞄にしまい込んで、少し笑いたい気持ちになった。
何て良いタイミング。
三上君を我が家からなんとか去ってもらう口実が作れそう。こんなに毎日悩まされて、堕落していく自分を見ないで済む。
有難う将大さん、有難う!
さっきまでとは全く違う軽い足取りで、駅へと向かう私がいた。
ジュンアイシイク −シンボルテクニック−
タイトルは漢字にしたら「純愛飼育」ていうか、周防さん当て馬になりそう。