『今更だけど、誕生日おめでと』
たったそれだけの言葉で、どうしようもなく喜んでしまった。
受話器の向こう側では照れた顔のお前の表情が思い浮かんで、つい口元が緩んでしまうが抑えられなかった。
BIRTHDAY EVE
一月二十九日
誕生日から明らかに一週間の誤差を身に感じながらも、俺が一番祝って欲しい人間から祝ってもらっていないことに苛立ちを覚えていた。
学校の奴らには言わなくても、勝手に祝われていたのでそれが当然だとばかり思っていた。
…まぁ、寮なんかにいるからか、寮母さんやら食堂のおばちゃんには誕生日をすっかり覚えられててたりする。それでオカズをオマケして貰ってたからか、気付いた頃にはどんな奴の誕生日も全員で祝おう的な習慣がここでは出来てたみてぇだけどよ。
三年もいれば、それが当然だとさえ思ってたお陰で、自分の誕生日に女々しくなってるのは分かってンだけどな。
それはともかくとしても、祝ってほしいと思う奴は、当日にも翌日にも言葉すら無く正直俺自身落ち込んでいた。
奴は今は学校は違えども、生まれた時からずっと隣に住んでて幼馴染ってやつだった。
全く、一体幼なじみの誕生日を忘れるって、どーゆー神経してやがんだ!
かといって自分から催促するのも何だか微妙だから、電話すらしてないけどな。
でも俺自身、祝え祝えと催促したくて仕方なかったりもする。毎年、あいつの…たったその「おめでとう」の一言だけで本当に祝って貰えた気分になる。
「不機嫌そうだな」
机に向き合って、シャーペンをノートに何度も突き刺していたらしく、渋沢が苦笑混じりに話し掛けてくる。
飯も食い終わって風呂にも入って、後は就寝前の点呼を待ちつつ課題をやっていたつもりだった。だが、誕生日だ云々と考えているうちに手元が疎かになっていたようだ。
ノートは見るも無残にシャーペンで突き刺された跡が残っている。このページ、もう使えねぇな。
「まぁな。かなり…不機嫌かもな」
「珍しいな。三上が素直に受け答えするなんて」
「俺をナンだと思ってやがる」
「そりゃあ、思春期よろしく程度にやさぐれた…ッ」
手元にあったクッション(藤代がどこぞのゲーセンで取ってきたやつだな)を渋沢に投げ付ける。
マジで俺を何だと思ってやがるんだ。お前は。
避けることをしなかった渋沢の顔面に綺麗にヒットした。その後は万有引力の法則に従って、クッションは落下する。
床に小さな音を立てて落ちると、それを渋沢が拾い上げ俺に目掛けて投げてくる。
「うわっ!」
「仕返しだ」
「てンめぇ……!」
投げられたクッションを拾い上げ、再度投げ返す。
全力で投げたそれを受け止められてしまう。互いに椅子から動かずに、睨みあう。
こんな下らないことなんざ、日常茶飯事だ。渋沢は想像以上にガキっぽくて、こんな下らないことに関わろうとしないように見えて人一倍食いついてくる。
アイツのことで苛々してたのも手伝って、少し本気になりかけた時だった。
丁度その時だった。寮内放送が流れたのは。
『二〇五号室の三上君。電話がかかってます。至急寮母室まで来てください』
「電話?」
立ち上がった時に、渋沢が一時休戦にしておいてやろうか?と小さく呟いた。
………何か、その言い方がすげぇムカつくんだけどよ。
そんな感じで睨むと大笑いをした渋沢は俺に背を向け机に向き合うなり、後ろ手を振る。
見てないとは分かりながらも俺も適当に手を振りつつ出て行くと、走って寮母室まで向かった。
電話なんざ何ヶ月ぶりだったか、なんて思いながらも下の階にある寮母室のドアを軽くノックする。
「あ、三上君!はい、受話器」
子機の方を渡される。礼を簡単に述べてそれを受け取る。
寮母さんは部屋に備え付けの今流行だかなんだか知らないけど、藤代と笠井が毎週食い入るように見ているドラマの方へと視線をやる。
テレビを観てる時の人間の邪魔はするべからず、三年間で色々あってしっかりと学んだマナーに倣って部屋を出ようとした。
出る瞬間に保留にはなっていないと言われ、子機に目を落とした。
寮母室を出た後「もしもし?」と言うと、電話を掛けてきた主は不機嫌そうに一言。
『遅い!』
その声だけで誰か分かり、瞬間嬉しくて仕方がなかった。
俺が誕生日を祝って欲しいと思っていた人物だった。
「!」
『おうよ、久し振り』
幼馴染の声だった。
受話器を通すのと、生で聞くのとでは全く違うものだと思った。それでも、一瞬で分かってしまう辺り俺も相当まいってるんだなぁ、なんて思ってしまった。
何やら受話器の向こうでモゴモゴと、なにかを言いたそうに詰まる声が聞こえてくる。
ここでなんだよと尋ねれば、間違いなく喧嘩腰に一気に言ってしまわれそうだから、ゆっくりと待つ。
『…今更だけど、誕生日おめでと』
たったそれだけの言葉で、どうしようもなく喜んでしまった。
受話器の向こう側では照れた顔のの表情が思い浮かんで、つい口元が緩んでしまうが抑えられなかった。
伏し目がちに顔を真っ赤にして言ってんだろうな。簡単に想像がつく。
ガキっぽいと言われるかもしれないけどよ、どうしても言って欲しい奴に言って欲しい言葉を言われるとすげー嬉しいわけだ。
俺は壁に背を預けながら瞳を閉じた。
それだけの言葉を遅れた理由は何だったのか。忘れてたのか、それとも何かを準備していたのか。どちらにせよ俺は、その言葉だけで十分だ。
単純だと言われそうだが、男なんざ単純に出来てんだよ。男の純情って奴だよ。
「…あぁ、サンキュ」
『うん。それだけだ。悪かったな』
「いいや。すげぇ嬉しかった」
『…そう素直になられると、すっげーキモいよ』
「あのなぁ…」
『あー…っと。…たまには、帰って来いよ?俺、ちょっとばかし寂しいぞ?』
ヤベぇ。こんな台詞言われるなんて思わなかった。
緩んでる口元が更に緩んでいくのが分かる。廊下を通る奴らが何やらチラチラと盗み見していくのに気付いて、慌てて口を手で覆えばは焦ったような口調で捲し立ててきた。
『よッ、用件はそれだけだ!もう亮には用は無い!じゃ、じゃあな!』
アイツはアイツで長い間幼馴染やってるお陰で、受話器の向こう側の俺がどんな表情をしてるかなんて、手に取るように分かってるはずだ。
だからだろうな、切ったのは。
ツーツー…と無機質な音すらも俺にとっては響きが良かった。
通話終了のボタンを押して、俺は少しだけガッツポーズをしてしまう。
日頃、デカイ態度で自分を何だと思ってんだ、とか色々と口喧嘩してるような相手からあんな台詞を言われたんだ。これを喜ばないでどうする。
一生俺の気持ちなんざに気付かないと思っていたのに。…俺の15回目の誕生日、ヤベぇくれぇ最高。
寮母室の部屋をノックして入り、子機を返す。丁度CM中だったらしく、俺の方を見て寮母さんは笑いながら「何かいいことあったんでしょう?良かったわねー」と言った。
かなり、いいこと有った。寮母さんに軽口を叩いて寮母室を後にすれば、部屋へと帰るまでの足取りは妙に軽かった。
しゃーねぇ、寂しがりやののために、近々帰ってやりますかね。
こんな俺の言葉を聞いたら、絶対アイツは憤慨するだろうけどな。
イブじゃない、イブじゃ…。