突然の電話に驚いて、慌てて出てみると嬉々とした声が聞こえてきた。
「俺、明後日の参観に行くから、楽しみにしてろよー」
一方的に言うだけ言って切ったアイツの言葉を飲み込むのに、数秒の時間を要してしまった。
ダイヤモンド 磨かずとも光るもの
朝から機嫌は最悪だった。
うちのアイツは基本的に忙しくも無い会社で、忙しく働けるようなタイプだ。だから、仕事がたんまりと溜まって有給を取る暇も無いのだと思っていた。
今まで九年間学校に通っていたけど、アイツが参観とか運動会とかそういった学校イベントのものに見に来たことなんて無かった。いつも、爺ちゃんや婆ちゃんだけで、アイツの姿なんて見かけたことすら無かった。
今回も安心をしていたというのに。
なのに、突然どういう風の吹き回しなのか、1週間前に突然電話でそう言われてからというもの、頗る気分は最悪だった。
特に参観の本番の今日は、最悪とかいう言葉で示し表せそうに無い程、不機嫌と言っても良かった。
苛々する余り、昼休みに机に爪をカチカチと当てながら、空いている手で顔を覆ってしまった程だから相当なんだと思う。
あんなアホなアイツでも「有言実行」「不言実行」を最大の長所とする様に、言わなくても言ってもどっちにしろ来ることだけは変わり無さそうだ。尤も、その分だけ宣言してくれて良かったとは思う。
…正直なところ、この苛々感はただアイツを周りの奴等には見せたくないだけだったりもする。
俺が恥をかく。
二十七歳っていうのは好条件だけど、未だに父親としての使命感が無い。その挙句、息子が家に居ても女を取っ替え引っ返え連れ込んでは鳴かせてる声を家中に響き渡らせるんだから、最悪に近い奴だとは思う。
けど、女を前にしてる時と俺等家族を前にしてる時じゃ性格が全く変わってるんだから、不思議で仕方が無い。
突然子供っぽくなる辺りは、なんとか世話してやんねぇとならない気がして、妙にファザコンの気になってくる。
…いや、多分俺はファザコンなんだろうな。
見た目もすげぇ色男かって言われると、そうでも無くてどっちかっていうと童顔。
よく近所のオバサンからは「今日もちゃんは可愛いわねぇ」って言われる程度の顔。
可愛いって言っても、テレビに出てるアイドル並みじゃなくて、馬鹿な性格も含めて「可愛い」んだと俺は推測してる。
アイツは見た目も俺と全然親子に見えない。俺、母さんの血が強いらしくて。…母さんの血で良かったと時折思うんだけどな。あんな男には死んでもなりたくねぇ…。
「三上!調理実習室へ行かないのか?」
「…まな板の上で跳ねる鯛になりたい…」
「は?」
渋沢に話しかけられたことに気付かずに、アレコレ思っていたお陰で謎な発言を残してしまう。
不思議そうな声が上から降り注がれた時に、漸く我に返って自分の発言で恥ずかしくなる。いや、有り得ねぇ。鯛になる位なら、俺は板前の方がましだ。
あのアホなアイツが、本物の「まな板の上で跳ねる鯛」なんだと思う。
一人で空騒ぎしてるけれども、実は目先の問題は騒ぐほどでも無いものが多い、あのアホのアイツに。どことなく、水を求めて跳ね回る鯛に似てるし。
「お前、いいよな。親が普通の人間で」
俺は渋沢にそう言い残して、ふらふらと教室を出た。足取りは重いけども確実に調理実習室へと歩いていけてるのが不思議なくらいだ。
別に調理実習だからって「親とふれあい料理コーナー」なんて動物園みたいなのが有る訳じゃねぇんだけどな。
試食は親もするみたいだけども。
あぁ…。アイツが一般人並みの父親なら良かったのに。
それでいて、見せたくない理由が可愛すぎるからとかいう危険過ぎる思考なら、まだ良かったのに。
閉じ込めておきたいから、って理由なら本気でよかったのに。
親子愛でも、違う方面ならまだ救いはあった。(モラル的に救いはねーけど)
だけど、あのアホが相手だと、そんな気も起きるはずが無い。
黙ってればそれなりなのに、口を開くだけでイメージが音を立てて崩れるんだからよ。それに、下手なことを言われて恥をかくのは俺以外に誰がいるってんだよ。
はぁ…。
深い溜め息を吐いてから、気を取り直し調理実習室へと足を進める。
そう、関わらなければいい。そう、関わらなければ。恥をかくことすら無い。
自分に言い聞かせているうちに、角を曲がれば調理実習室だって付近にまで来ていた。
「…?」
まだチャイムが鳴ってるわけでもないのに、妙に騒がしい声が聞こえてくる。ふいに嫌な予感が押し寄せてきた。
今引き返せばまだ間に合うかも知れない。
嫌な予感ってもんは遠慮なく確信に変わってしまうことに、俺は恐れている。
しかし、気付けば手は扉に触れていた。身体が意思に反して動いてしまうのが嫌で仕方が無い。
なんで俺の言うことを聞かねーのか、俺の身体は!
ガラリ。
ここまで来れば、引き返せるわけもねぇって思ってドアを引いてやった。
最後まで付き合ってやろーじゃねぇか!
「あ!」
「…やっぱり…」
大して低くも無い声をしながら、俺を見つけてしまったアイツは女の渦の中から飛び出してくる。
相変わらずどこでもかしこでも、女に囲まれてる奴だな!
…皮肉を言ってやろうかと思ったが、そこで絶句してしまった。
顔しか見てなかったとはいえ、幾らなんでもそれは酷すぎた。スーツとかフォーマルな感じで来るのが常識だと思い込んでいた参観に、アイツは普通の私服で来てやがる。
ば、婆ちゃん…!このアホにどんな教育をしたんだ!
クラクラとする意識を手繰り寄せていると、ガバリと音がしそうな勢いでが俺に抱きついてきた。
一瞬、周りの空気がピンと張り詰めたかのように俺たちに集中された。
「亮!朝から具合が悪そうって、さっき聞いたけど熱は無いか!?」
「は?」
「だってお前、自分の体調に関しては無頓着だろう!?俺、心配で…」
「…こんな時だけ親父面か?」
「…!こんな時だけじゃない!俺はいつも心配してるんだからな…」
「……へぇ…。部屋の中を散らかして、踏み場も無くした挙句、人に散々掃除させるのも心配の一つか…?そりゃ、ご大層なことで」
「そ、それは…。…だって、俺掃除苦手だもん…」
やっぱりアホだ。この男は。
クラスの女や、保護者に悪目立ちしてるけど、この男が父親である限り一生この好奇な視線は注がれ続けるんだろうな。
取り敢えず、このアホを俺から剥がす。
「」
「また呼び捨てかよ…」
「家はいつもの如く散らかってんだろ?」
「………」
「沈黙は肯定ってことで。だから、今日は家に帰ってやるよ。それで徹底的に掃除すんぞ」
「えっえぇっ!?きょ、今日は駄目!ぜってぇ駄目!」
「…今度は何を散らかしたんだ」
「……えぇっと…。前と一緒…」
お前、最悪だな…。
俺は呆れるまま、意地でも帰ってやるからと言うと、視線を逸らしながら頬を膨らませやがった。
全然可愛くもなんともねぇから止めとけ、それだけは。
てかよ、てめぇはいつも一方的に来たり去ったりしてる割には、俺には自分の都合を押し付けるのかよ。…まぁ、別にいいんだけどよ。俺は俺で勝手にさせてもらうし。
何か会うまでは、物凄く苛立ってたけど会ってみれば、いつも通り世話を焼きたくて仕方がなくなる。
得な性格だよな、。
頭をクシャリと撫でてやると、の抗議の声よりも先に耳が痛くなるほどの、クラスの女の声が聞こえる。相変わらずの好きもので。
それに驚いたが呆然としてるから、からかうついでに苛めてやろうと思って耳元に唇を近づけてやる。
そうするだけで一気に視線が俺の方に向くんだから、楽しくて仕方が無い。
絶対にが狼狽して慌てるから。別に人に見られたいんじゃなくて、ただ翻弄してやりたいだけ。
「、来てくれてサンキュ」
「…べ、別に…感謝されるほどのことしてないっ…」
あぁ、してないな。けど、頬を染めたを見るのも結構オツなもので癖になりそうかも。
ファザコンでいいよ。俺は。こんなに面白い親父を見てられるんだから。
不機嫌なのも面白いくらいに吹っ飛んだ俺は、散々普段の仕返しにとからかいまくってやった。
そんな位で焦ってるお前、結構好きだぜ?
一生かけて面倒見てやるからな、。
ファザコン決定の回。