飼い犬に随分と毛色の変わった犬が生まれた。鳶色の毛を持つ犬から、黄金色の犬が生まれたのだ。
 鳶色の犬は飼い主の私に忠実だが、随分と気が強く自意識過剰の気がある。全て任せれば良いと存外に期待しろとばかりに言って成果を上げてくる。これには満足はしていたが、言ってしまえばそれだけだ。
 何十年と見てきたその鳶色には飽きていた。
 だから、だからだ。黄金が欲しくなった。
 黄金を自分の思うがままに育てあげたくなった。自分専用の犬にしたくなった。
 染まった鳶色ではなく、染め上げられていない黄金そのものを欲した。
 純白にも近い黄金をこの手で飼い馴らすため、染まった鳶色を無理矢理に私の思う色染め上げることにした。

海馬の犬

 城之内親子は剛三郎の監視下にいた。
 自らの部下であり忠実なる下僕同然であった城之内の父。そして生まれたばかりの城之内。この二人のことを綴ったという手記の話を兄が始めた。
 ほんの数ページだけの手記には、モクバが流し読みした以上に内容があったようだ。
 黄金色の犬と呼び甚(いた)く城之内を気に入った剛三郎は、鳶色の犬と呼ぶ城之内父をまずは自らの部屋で飼い殺した。飼い殺すと言っても、力でねじ伏せるのではなく自ら離れられなくしたのだ。
 その方法は実に単純で、剛三郎に逆らえなくするため、寧ろ何物に変えても欲するためにある種の薬を与えて飼い殺したのだ。つまりは持続性のある媚薬を投与し続けたようだ。こうなっては部屋で飼われている城之内の父はどうしようもない。
 その後は時間を掛けて城之内父を飼い馴らし、息子を快楽の代償にさせればいい。
 聞けば聞くほどに色々と思うところが出てくる。
 だがモクバは黙って兄の話を聞いていた。
 理路整然と物事を立て並べて話す兄が、とぎれとぎれに紡ぐ姿はなんとも奇妙であった。しかし、それに口を挟むのは憚(はば)られたからだ。

「物心付く前の幼児を剛三郎はあの部屋に閉じ込めた」

 あの部屋とは、城之内がいる部屋のことだ。この言葉を紡ぐ前に兄が顔を歪めるのを見落とさなかった。
 きっと今の自分と大差ないと思ったからだろう。だが何も言わないでおいた。
 言葉は今、必要ではない。

「自らに請(こ)い諂(へつらい)い、そのものを名実ともに犬に仕立て上げようとした。…実際、五年程…幽閉していたらしいがな」
「………」

 海馬は自分がしていることと同じだ、と嘲るように言う。
 違うと否定するにもそうだと肯定するにも違う気がしたので、モクバはやはり黙(だんま)りを決め込む。
 ただ黙るモクバを一瞥して静かに目を閉じた。
 城之内を幽閉した剛三郎は、家族から離されて泣く姿に愉悦を見出だし心底快楽を貪った。何故それ程までに快感を感じたのか。
 理解し難いと思っていたあの男の感情は、城之内をこの屋敷に攫ってきた時に初めて知った。
 忠犬が飼い主を探し泣く姿は、哀れみを感じると同時に何物にも変え難い感情だったのだ。飼い馴らされた犬が見知らぬ相手に怯え戸惑い、光を探して手を伸ばすがその先には絶望しかない。なんと愉快なことか。なんと支配欲のそそられることか。
 そればかりが自分を支配し、犬を染め上げたくなるのだ。
 そして気性の強い赤みの帯びた瞳を、泣き腫らさせたくなる。
 全てを支配したくなるのだ。あの犬はそう思わせるようなものだった。

「愚かと思うか」
「兄サマ…」
「剛三郎となんら変わらないオレを愚かと思うか」

 尋ねると言うよりは自問のようなそれは、沈黙によって掻き消された。モクバは答えられない、海馬は回答が見つからない。ただ沈黙だけがそこにあった。
 何も答えない弟を一瞥して、海馬は天井を仰ぐ。華美なものは好まないからと控えめな、だが高級なシャンデリアがゆらゆらと揺れるのを見た。
 空調機からの風に揺られているそれは、角度を変えてきらきらと光っている。
 ふとこんな時に、城之内の顔を思い出してしまう。
 彼は喜怒哀楽と様々な顔を見せ、時折魅入ってしまうほどの色香を纏った表情をする。人の美醜や纏う色など興味がない自分でさえ目を奪われるほどなのだ。他の者などそれこそ瞳ごと奪われるようなものだろう。
 海馬は目を細める。
 眩しかった。シャンデリアの明々(あかあか)とした光ではなく、ふいに思い出した城之内の顔が。
 分かってはいたが認めたくない感情が溢れだす。
 自らが俗物だと知り、苦笑が漏れた。

「どうしたの…、兄サマ…?」
「いや…。詰まらぬことを考えていただけだ」

 まだ口元に少しの微笑を讃えて海馬は視線をモクバに戻す。
 視線が交わされた時、言葉少なだったモクバが口を開いた。

「剛三郎が城之内のやつを………したのは分かったぜぃ」

 言葉を濁す。言い難いのだろう。兄を立てる物分かりのいい幼い弟は、その部分を言わない方がいいと判断した。
 海馬は事実なのだから別段構いはしなかったが、弟が気遣うから黙って頷く。

「でもさ、なんで城之内でないといけないの?別に他のやつでもいいじゃない」

 モクバの言うことも尤もである。
 剛三郎が城之内親子を犬と呼んで飼い殺していたのは話から理解できたが、別に城之内親子でなくとも良かったのではないか。
 しかし海馬は首を横に振り、それを否定した。

「…誓約だ」
「誓約?」

 誓約と言われ思わず首を傾げる。兄の言っていることが良く分からない。幾ら並み居る大人より回転が速くとも、この話の繋がりから誓約という言葉が導きだされるのは難しい。
 今のモクバに分かるのは剛三郎の手記から「城之内の父は剛三郎に仕えていた」「親子をある種の慰みものにしていた」「剛三郎は城之内克也を気に入っていた」この程度だ。
 確かに仕えていたのだからそこに誓約があっても良いが、剛三郎ひいては軍需産業が主体の企業と城之内には結びつきがない。
 海馬と城之内のように同級生や共通項目が幾らかあるならば別だが、一介の社長(しかも気位が高く下の者を虫以下とでも思っているような男)と城之内の父ではどう考えてもイコールにはならない。ノットイコールなのだ。
 そう考えるモクバを他所に、海馬はただ溜め息だけを漏らす。

「海馬と城之内には誓約が交わされていた」

 海馬は静かにそう言った。

 2008.02.29
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