大学を卒業して一年が経過しようとしていた。
 フリーターとしてぶらぶらしていた私は、偶然に会って就職先のことを根掘り葉掘り聞かれた。私は元々、就職する気も無く暫くはフリーターでもして適当に過ごそうなんて甘いことを考えていたから。
 このとの出会いは青天の霹靂と言ってもいいほど私の人生を真逆に変えたのだった…。
 これは、私が就職して初めて受けた依頼の話である。


Dream makerS

桐原探偵事務所事件ファイル

「初めての依頼にしては割と楽な方だと思うよ。習うより慣れろだよ」

 と気軽に言ったが恨めしい。
 探偵なんていう特殊な職業に突然飛び込んで、入社直後に貰った依頼が身辺調査っていうのはまだいい。そう、いいのよ。だけど、そのイロハさえも教えてもらってないのに、突然放り出したりするってどうなのかしら。
 どうやって調べていいのかさえも分からないまま、私は対象のいる店にまでやって来た。テレビなんかでよくあるセオリー通りに物陰から眺めていようと思っていたのに、目ざとい対象に見つかってしまう。ああ、なんて不運なのかしら!と嘆いても今更なので、逆に開き直って客を装う。
 そして、その対象とたった二人っきりの空間で紅茶をご馳走になっているのだ。

「それ、キャンディに少しオレンジピールを入れてあるんだ」
「…そう、ですか」
「キャンディはブレンドに向いてるからね。どう?お姉さんの口に合う?」

 じっと飲んでる姿を見られたまま、にこにこと紅茶の話をし始めた対象に私は曖昧な返事をする。
 これが調査対象でなければ色々と会話を交わしたに違いないけれど、私には無理だ。初めて貰った仕事で緊張してるし、口を開けばヘマしそうだもん!
 けれど、私の適当な返事に気分を害したわけでもない対象は、ちょっと待っててねなんて言って英国アンティーク風な棚を漁りだした。
 調査対象…彼、椎名翼は公道に面した場所に店を構えていた。
 この店はアンティーク雑貨や喫茶を目的としているらしく、女性客が好みそうな作りではあるものの、客足が殆ど無いらしい。尤も、店の隣に構えた大きなガレージの方に目を取られて、店があるなんて知らない方が多いに違いない。
 この町に住んでいる私でさえ、この仕事がなければ気付かなかったもの。

「はい、これサービス。オレンジピールで作ったクッキー」

 自慢じゃないけど味には自信があるんだ、と言いながら蓋付きの器に盛られたクッキーをテーブルの上に置いた。
 テーブルも勿論のこと、レースのテーブルクロスが掛けられたアンティークなそれで。店の中の全てが英国風である。彼は角砂糖用のトングでクッキーを数枚掴んで、ソーサーの横に沿えた。
 カップも見事だけれどソーサーもまた見事で、添えられたクッキーさえも芸術品に見えてくる。

「…綺麗」
「それ、ショドフのピンクポーセリンシリーズのカップとソーサなんだ。見た目もいい感じだろ」
「ほんと…、見た目も美味しそう」

 ピンク色の陶器は見た目もいい。そして、いっそう紅茶もクッキーも味を引き立てる良い調味料になってる。
 私は仕事のことも忘れて、クッキーに手を伸ばして一口。サクリ、という食感と一口含んだだけで広がるオレンジの香りに虜になってしまう。
 市販では引き出せない味。今まで出会ったことの無い上品な味だけど、私はそれが気に入ってものの数分で平らげてしまった。すると、彼は嬉しそうに笑った。
 そう。店主の椎名翼は目を見張るほどの美形だったのだ。よく見れば見るほど、全てが整っていて彫刻か何かかと思わされる。

「美味しいかった?」
「ええ、とても」
「じゃあ、包んであげるよ。僕もそう言って貰えて嬉しいし」

 何やらまたもラッピングかのような袋を取り出し、どこからどう見ても販売用のセンスの良い包装をしてくれた。

「はい、どうぞ。味が落ちる前に食べてあげて」
「ありがとうございます…」

 あまり長居をしても仕方が無いので、クッキーを貰ったのを良いことに精算を済ませて店を後にした。
 …って、私ほんとに何しに行ったのかしら…!
 身辺調査って色々な形はあるけど、普通は接触はしないものよね。
 貰ったクッキーを片手に、私は初日の失敗にヘコみながら事務所へと戻った。

「あれ、ちゃん…。なんか、早くない…?」
「早いわね。物凄く早いわね」

 事務所のソファで寝転びながら電話番をしていたが傷口を抉る。確かに、事情は知らないから勝手に抉られてるだけだけどっ。
 返す言葉も自然と自虐的になっちゃう。でもそれもこれも、どうすればいいのかを教えてくれなかった貴方に責任があるのよ。仮にも教育係なんかを受け持っちゃったんなら、私に方向性をアドバイスしてくれてもいいのに、習うよりも慣れろだよーとか言って放り出したのは誰なのかしら。
 こんな専門職で習うよりも慣れれるのなら、誰だって困りはしないでしょうよ!
 そう言いたいのを必死で押し殺して、私は向かえのソファに座る。

「それなにそれなに?お土産っ?」

 こういうことだけには昔から目ざといは手を伸ばしてくる。それを叩き落とせば、ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる。もう、煩いったら仕方が無いわね!
 だけど、ムカムカとしてる私は構わずに言ってやったのだ。

「ターゲットから貰ったのよ!」
「え。え、えええええぇぇえぇ!?」

 ごとん、とソファから転げ落ちてテーブルの上に乗り上がり、私に詰め寄ってきた。
 息が触れるくらいにまで近寄って来たので、それを思わず押しのけてしまう。

「ウソ!接触しちゃったの!?」
「したくてしたんじゃないのよ!イロハもへったくれも何も無い状態で外に出したのはどこの誰よ!」

 朝から抱いていた不平不満がとうとう口をつく。
 何も持たされず、ただ財布と携帯とだけで事務所を追い出され、これも愛の鞭なんだからね!とか叫びながら手を振って見送っただけの貴方に言われたくは無い。
 入社して僅か三日目で貰ったこの依頼を完璧にこなせる方がおかしいのよ。愛の鞭なんて生易しいものじゃないわ。これは軽い虐めじゃないのよ。
 そこまでは流石に言わなかったけど、私は言いたかったことを全て吐き出した。

「…そりゃ、テメェが悪いわ。

 すると私の頭上から声が降ってきた。そして、私の頭に手を置き何度か撫でられた。

「お前も大変だったな、
「え、え…と?」
「俺?俺は三上亮。昨日まで別件でいなかったから、自己紹介遅れて悪ぃな」

 そう言いながら、軽い身のこなしでソファを越えて私の横に座る。突然頭を撫でられたから思わず驚いたけど、どうやらまともな人みたい。
 すらりと長い足を組み、軽く私を一瞥してに視線をやった。

「で、テメェは一体何様のつもりでを外に出したんだ」
「身辺調査だし、まあいっかって…!」
「よくねえだろ。なんだ、その楽観主義は。で、どこのどいつの身辺調査なんだよ」

 組んだ足でテーブルの上からを落とし、更に手は依頼書を要求している。な、なんという横柄な態度なんだろう…!
 だけれど、この三上さんという人も大概だと思う。だけど、マトモであるかそうでないかを判断するとすれば、軍配がどちらに上がるかなんて目に見えてるけど。
 テーブルから転げ落ちたは渋々といった具合で、依頼書ばかりを入れている引き出しの中から該当のものを取り出して、三上さんに投げつける。紙だからヒラヒラと舞い落ちたのを私が拾い三上さんに渡す。
 その時、拾わなくっても三上に拾わせればいいんじゃん!とかいう声が聞こえたけど、そこは無視する。
 私の中でマトモ度数の軍配が上がってる方にしか、今は耳を貸さないことにしたのだ。

「……なんだこれ、仕事調査?テメェの店のくせして、なんで調べる必要があんだよ」

 数枚に及ぶ依頼主からの依頼書に難癖を付け始めた。
 店主である彼の仕事風景は調べなくても自分で見に行けばいいのにとか、どんな商品を扱ってるかなんて歴然だろとか、言い出したら当たり前すぎてキリの無いところまで三上さんはケチを付け始めた。
 確かに喫茶店だったから、自分で見に行けばいいだけなのに。
 けれど、その依頼書を数枚捲った時に、三上さんの顔色が変わる。

「…おい、
「なんだよー」
「これを引き受けたのは誰だ」
「あ、それね。松戸から入江に流れて、本店行った後うちに流れてきた」

 ………それって、たらい回しじゃない。

「お前さー、この依頼書に不備はないか確かめたか?」
「え、ほっとんど調べてあるじゃん。チョーラクショーじゃん」
「馬鹿か!貴様はッ!」
「馬鹿じゃないの!?」

 私と三上さんの声が被る。これを怒鳴らずにいろっていう方が無理無理、絶対無理よ!
 たらい回しっていう時点でまずは気付くはずなのよ。それに、依頼書は見せて貰ってなかったから初めて見たけど、その分厚さは異常でしょ。
 何だか三上さんの手元を見ていても、幾らかは調べた形跡があるのに店舗たらい回しはするはずないじゃない。
 幾ら新人って言っても私でさえそれは危ない綱渡りのような依頼ってことが分かるのよ!?
 なにに、超楽勝なんて笑って言うようなものじゃないないじゃない!ホントに危機感薄いんだから!
 少なくとも十枚はある依頼書(+添付された資料)を丸めて、三上さんはの頭を殴った。まあ、当然と言えば当然なので私は何も言わない。

「不備有りまくりだろうがッ!見ろ、この入江から本店までの報告書をッ!」

 に向けて突き出した部分を私も身を乗り出して眺める。
 ん、と。
『雑貨店兼喫茶店を経営し、客足こそはほぼ無いに等しいが極稀に来客はある。しかし、何かあるみたいなので調査続行』
『改めて調査をしてみたところ、調査目標は表向きは喫茶店を経営しているらしいが、裏ではなにかの取引をしている模様。調査を続行しようとしたが顔が割れてしまう事態に陥ったので、以降は武蔵森店へ依頼を引継ぎ』
『入江より依頼を継続し調査を続行。時折現れる客の中に数度同じ顔を見かける。リピーターである可能性も考えられるので、もう暫くは動向を観察することにする』
『客かと思っていたが、調査目標に一方的に怒鳴る姿を見かける。明らかに客ではないと判断したために、そちらの動向を探ることにした。数日に及びそちらの調査をしたところ、ある種の団体との関連性を見つける。もう少し調査をしようとしたが、逆に足が付きそうになったため、この依頼は達成不可能。以降は飛葉支店へと調査を引き継ぎ』
 つまりは、裏で何かキナ臭いことがあって調べていたけど、逆に調べられそうになったからもう無理ってことね。
 …って、そんな危なそうな依頼を私が引き受けてたの!?

「こんな曰く付いてそうな依頼のどこが楽勝なんだよ!何も知らねえに任せるモンじゃねえだろ!」
「…う、うう…!そ、そこまでは読んで無かった…」

 しゅんとしょげて反省しているに、三上さんはもう一度その依頼書を振り下ろした。
 そして私の方を向き、真剣な表情をする。

、今回の依頼は俺が全面バックアップする。引けと言いてぇけど、男が接触を図るよりはお前の方が都合いいみてぇだし」

 テーブルの隅に置かれたクッキー。それを指し私に依頼の継続をしろと言う。
 本当はいきなりこういう状況になるなんて思わなくて、出来るなら拒否をしたいと思った。でも、そう言えるような雰囲気じゃなくて。
 私は頷いた。
 これが私にとっての初めての依頼だったのだ。

▼ ススム * モドル ▽